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吉岡たけし プロフィール

omoi
平成15年より参議院議員末松信介事務所秘書(11年間。前政策秘書)。
アンリツ㈱・千代田火災海上保険㈱勤務。
早稲田大学法学部卒。(行政法佐藤英善ゼミ・早稲田大学広志会幹事長)灘高校卒。

yossy
● 垂水区・生声プロジェクトリーダー
好きな言葉  “笑う門には福来たる”
好きな食べ物 タコ・イカ(魚介類)・焼き芋・ピザ・チョコなどなど。
好きな動物  インコ・ペンギンなど鳥なら何でも!
”よっしー”歴30年超。学生時代からの愛称。



吉岡たけしへの推薦・紹介メッセージ!

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(「自由民主」号外に掲載された吉岡たけし紹介記事から引用させて頂きます)
 早いもので、あの、阪神淡路大震災から20年の歳月が経過しました。
 吉岡たけしさんは東京の大学に進学し、その後サラリーマンとして東京、神奈川で生活していました。
 あの朝。吉岡さんは、「ああ、両親ともひょっとしたら、もう永遠に会えないかもしれないな」との覚悟を覚えたそうです。吉岡さんの直属上司は地元が兵庫で、神奈川に単身赴任中でした。故郷を同じくする上司と、不安な気持ちを振り払うためにも、一心不乱に仕事をこなしたそうです。
 当時吉岡さんは神奈川県横浜市で、地域活動に邁進しておりましたが、震災が起き、実家の塾が被災し、壊滅。「生きる希望を失った。もう駄目だ。助けて。」という両親の悲痛な声を聴き、関東での活動を断ち切り、地元に戻ることを決めたのです。勤務先の千代田火災に神戸への転勤を申し出、震災の翌年春、神戸支店に転勤となり、地元兵庫県に戻ってきたのです。吉岡さんは「兵庫でやり直そう、まだ30過ぎだ、しっかりしろと自身を叱咤激励しました。20年前ですが、まるで昨日のことのように思い出されるんです」といいます。自分の人生の転換点、地元で歩むことを決めた決断。
 客観的にみて、その決断は正しかったのだろうと思われます。地元の、“生の声”を力にしていくという吉岡さんのスタイルを確立させることができたのですから。やはりこれは、ふるさと兵庫県だからこそ、そして復興の大変な時期だったからこそ体験出来たのでしょう。関東にいたときはどことなく知識先行、理屈先行になりがちだったという吉岡さん。“生の声”を力にする、「皆の目が輝く兵庫県にしたい」という思いで突進する、熱血型の男としての政治スタイルを20年掛けて作り上げることができたのです。